東京電力のリスク対策の杜撰さと、東電の原発再稼動の是非

 16日付、朝日新聞デジタル版「マイタウン」で、「マイタウン 福井」の記事として、若狭湾エネルギー研究センターの専務理事、来場克美さんの談話が公開されてました。聞き取り構成者の記名は、山田理恵さん。

 若狭湾エネルギー研究センターというのは、福井県から、研究用の多目的加速器などの管理運用を委託されている財団法人。所轄は、経済産業省資源のエネルギー庁および文部科学省だそうです。


 「福島の事故は『想定外』の災害が原因と言われますが、私は違うと思います」と、語りだされる談話記事の内では、東京電力福島原発と、東北電力女川原発との比較を論じている箇所などに説得力が感じられます。

 ことに「東京電力は、東北電力のような津波対策をなぜしなかったのか。謝罪だけでなく、東北電力がしていた対策をなぜ当時施さなかったのかも、国民にきちんと説明するべきです」との意見には、同感と感じる人は多いはずです。
 アタシは、もちろん同感です。

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 今、日本各地の原発について、再稼動の是非を巡る論議は、3.11より前と変わらず、「なんとしても旧情復帰で再稼動」を目指す原発推進派の意見と、「なんとしても再稼動の阻止」を求める原発反対派の意見との両極に分かれている感があります。

 アタシ個人は、広い意味での中間派で、日本の長期エネルギー計画については、脱・原発依存派の意見です。
(具体的には、原発に供給される電力量は、20%〜25%に押さえ込んで、ベストミックが探求されていくといい、と思ってます)

 そんな中間派の立場で考えてみても、東京電力が、福島第1原発でレベル7といった大惨事を起こし、原子力安全・保安院の杜撰な管理体制や、原子力安全委員会が定めていた安全基準の甘さが、次々露呈されている(現在進行形)にも、関わらず、全国の原子力発電炉の再稼動の是非を一律に問おうとするかの情勢は、おかしいと思える。

 例外と思えるのは、福島県議会が、政府と東京電力に、「福島第2原子力発電所を含めた、県内全原子炉の廃炉を求めている」動き、くらいでしょうか。
 アタシは、東電ユーザーの1人としても、国民の1人としても、福島県議会の決議には支持票を投じます。


 それから、東電は、新潟県にも柏崎刈羽原子力発電所ももってる。
 こちらの原子炉再稼動については、立地自治体で是非の議論が盛んだと、伝え聞いています。


 アタシは、原則的には、原発再稼動の是非は、地域の総意に計られるべき、と考えています。
 首相の政治判断とやらを、県知事の政治判断で追認して是非を決する、そんな3.11より前の旧態然とした意思決定は、もう止めにしないと。

 原則的には上のように考えているアタシですけれど。
 東電ユーザーでもありますから柏崎刈羽原子力発電所再稼動については、特段気にかかります。

 現地には、原発関係で従事している方も多くおられるでしょうから、神奈川県民であるアタシがどうこうと、口を差し挟むのも控えるべきでしょう。
 それでも、次のようなことは言いたい。

 まず、ここで紹介している、若狭湾エネルギー研究センター専務理事、来場克美さんが、はっきりわかりやすく指摘されているように、東電の災害対策は、東北電力と比べるだけでも杜撰としか思えません。
 で、そんな杜撰な災害対策でよし、としていたのが、原子力安全・保安院です。

 野田首相は、安全・保安院のストレステスト(保安院が指導したテスト)は有効と言ったことが報じられています。保安院にしかるべき行政処分を下したわけでもないのに。
 3.11よりも前は、原子力安全・保安院が国会答弁(2011年)したような、チリ津波級の大津波が押し寄せても、メルトダウンが起きないような原子炉運用を監督してる、って主張を、国民が信任してきた形になっていたわけですけど。
 もう、そんな信任は、成り立ちません。メルトダウン起こしちゃったんですから。

 と、言った理由で、アタシとしては、今の東京電力には、原発の再稼動認めたくない。


 けれど、もし、新潟県で、原発再稼動の是非議論に合意点が見出し難いようだったら−−。
 1つの選択肢として「今、国会での審議が停滞している原子力規制庁が発足するまでは柏崎刈羽原発は運転休止(再稼動の是非は、規制庁発足後に、よりきちんとした査察を経て改めて検討)」とか、「大規模地震の可能性が70%超とされている向こう4年間、柏崎刈羽原発は運転休止」とかも、検討してみるべきではないでしょうか。

 少なくとも、中間派からそうした声が上げられてもいいと思います。

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 原発再稼動を巡る今の情勢の問題は、3.11より前の信任が、実際ご破算になってる状況なのに、3.11より前のやり方が、なし崩し的に続けられかねないことです。
 ですから、ある程度の期間、再稼動は休止して、その間に、透明性や公正さの高い検証や議論を進めた方がいいかと思います。

 こう言うと、原発休止は、日本経済にマイナスになるって対抗意見が聞かれると思います。
 まず、アタシもある程度のダメージは、短期的には生じると思います。
 しかし、もう1度レベル7級の事故が起きたら、その時こそ、日本経済に加わるダメージは大きくなるはずです。
 こう言うと、今度は、そんなことが起きないように、ストレス・テストをしている、と言った反論が聞かれるでしょうけれど。
 原子力安全・保安院が指導したテストなんかは信頼できない。そんな信任はもう崩れている、ってことが問題なわけです。


 で、今度は、極論として日本全国の原発が停止する状態を想定してみます。
 アタシがこの記事で論考しているのは、「柏崎刈羽原子力発電所など東電の原発再稼動の是非検討」について、なのですが。
 一時、「日本全国の原発が停止する状態」を極論として想定してみます。

 アタシは、1960年生まれでして、1970年代はじめと、70年代末〜80年代初頭にかけての2次のオイルショックの時は、ちゃんと物心がついていました。
 あの頃の大人たちも「日本経済は沈没する」みたいな風評におびえていましたが。実は、日本経済は、大きな危機を迎えて「それまでの方向から大きく舵をとった」後の方が活力を持つようです。
 2次のオイルショックのときもそうでしたし、1980年代後半の円高不況の後もそうでした。

 ですから、仮の思考実験としては、「日本全国の原発が停止する」事態になったとしても、それで日本経済が再起不能になる、とはアタシには信じられません。もちろん、ノン・ダメージということもないはずですが。

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 誤解の無いように書いておきますが、原発再稼動について、アタシの基本的な意見は、「地元の総意に計られるべき」です。
 ですから、例えば、もし、仮に、宮城県の方たちが「大津波にも耐えた女川原発を運営する東北電力リスク管理は信頼に足りる」と言った理由から、女川原発の再稼動を認めるような総意を形成されるなら。
 仮にそういうことになったなら、その時には、宮城県以外からどうこう言うことではない、と考えています。
 もし何か言えるとしたら、隣接諸県の住民くらい。


 ただし、「地域の総意に計る」方法は、もんだいですよね。
 この記事では、そこまで話を広げると、何の話題だったかわかんなくなるでしょうから、「地域の総意に計る方法は、もんだい」て指摘だけに止めますけれど。
 この件でも「3.11より前の旧態然としたやり方の、地元『説明会』」とかで押し通されてはかないません。「3.11より前のやり方」は、改善されないと。


【参照用コンテンツ引用】

若狭湾エネルギー研究センター専務理事朝日新聞デジタルマイタウン,2012年3月16日)
 福島の事故は「想定外」の災害が原因と言われますが、私は違うと思います。

 東京電力福島第一原発は1号機から3号機までが、メルトダウンする事態に陥りました。一方、宮城県東北電力女川原発3基は、そこまで至らなかった。この差は何でしょうか。
 女川原発は敷地の標高が14.8メートルあり、津波の被害を免れました。東北電力は立地前に有識者の会議や869年の大津波の痕跡調査などを経て、津波の想定を13.6メートルにしました。当時の国の安全審査ではそこまで高くしなくてもよかったはずです。立地後も2002年に土木学会で津波評価が出ると、安全性を再確認しました。つまり、東北電力津波を「想定」していたのです。

 一方、福島原発津波の想定は5.4〜5.7メートル。非常用発電機はタービン建屋の地下に置いていたため、津波で使えなくなりました。東京電力は、東北電力のような津波対策をなぜしなかったのか。謝罪だけでなく、東北電力がしていた対策をなぜ当時施さなかったのかも、国民にきちんと説明するべきです。
 福島の事故で、原発そのものが悪いかのように言われますが、私は違うと思います。原発を運転、管理する事業者が安全性を高めることを貫徹しなかったことが、問題だったのです。

 規制当局である国にも問題があります。なぜ、東北電力の対策を再評価し、規制に反映し、ほかの電力会社に改善をさせなかったのか。電力会社も国も、従来の安全対策をきちんとしなかった反省と検証なしに、新たな技術対策ばかりに目を向けています。
 原発を地域に立地することの重さや痛みを、国や電力会社は本当に分かっているのでしょうか。今後、原子力規制庁が発足しますが、東京からあれこれ指示を出すのではなく、それなりの人員を現地に置き、平常時も緊急時も対応するということを望みます。(山田理恵)