原発再稼動の是非、と、地元の「総意」

 大震災と、東電の原発事故から、もうすぐ1年。

 横浜に住んでるアタシの身辺でも、去年1年、それなりに色んなことがありました。
 ここでは細々書きませんけれど、仕事や身辺で、それなりに色々。

 ずっとブログを書かずにきたけど、えいやっと、書いてみます。

      • -

 3.11の後、東北、関東、関西など、地域ごとに空気が分かれてる様子。3.11の大変動についての、受け止め方の空気のことです。

 アタシが思うに関東では、多くの人が、不安や不満を押し包んだまま、とりあえず擬似的な日常に復旧してる気がします。断続する地震の多さだけでも、慣れてしまえるものじゃあないし。

 平時の内に、いつ非常時が突発するかわからない不安や不満を押し包んだ暮らしは、「社会の例外状態(例外社会)」て奴で、本来の日常が変質した、「日常であるかのような時間」と思えます。

 実際、アタシも非常食の備蓄とかしてるし。
 それでも、関東在住のアタシは、平時の日常であるかのような暮らしをしないわけにもいかない。

 こんなアタシが、関東から被災地、被害地のことを忘れないようにするとしたら、それは、被災地や被害地に日常が戻る時に、震災、人災の前よりも少しでも暮らし易い世の中になるように、と考えて、有権者としての選択を重ねてくこと。それくらいしかない、と、この1年の間、ポツポツと考えました。

      • -

 3.11の震災と事故では、世の中の制度疲労が、色々具体的に露呈しました。

 優先的に何の改訂を望むかは、きっと職業や立場によって違うはずでしょう。けれど、アタシはやっぱり、電力やライフライン、それから通信に関わる制度の改革を求めていきたい。


 考え方としては、「3.11より前の制度や運用がどれだけ改善されるか」が、ポイントって考えます。


 例えば、原子力安全・保安院が審査する原発ストレステストを元に、原発再稼動の是非が、各立地自治体に問われようとしてる。
 他方、原子力規制庁法案の国会審議が、国会の事故調(東京電力福島原子力発電所事故調査委員会)に差し止められる、て一見奇妙なことも起きてる。

 定期検査で止まってる各地の施設のストレステストを、「原子力規制庁設立まで待つわけにいかない」て考える人たちがいるのもわかるつもりです。
 一方で、「安全・保安院なんかの審査は信頼できない」と考える人も少なくないでしょう。
 あれだけ、情報後出しや、隠蔽紛れの玉虫発表、繰り返しちゃったんですから。

 それに、電力会社が、「地質がどうこうで地震の可能性が云々」とか言うのも不審のもとですよね。ちゃんと文科省の専門研究部署の調査を受けるならともかく。


 「原子力安全・保安院のテスト審査方法は適正」ってお墨付きを、IAEAも一応出しました。

 「一応」ってのは、「再稼動は、地元の理解が大前提」って、釘も刺されてるから。
 例によって、安全・保安院や東電は、「釘が刺された部分」をほとんど言わず、「適正と評価された」ことばかりをアピールしてるみたいだけど。

      • -

 アタシが思うには、少なくとも、「地元の理解」を得る方法は、3.11より前のままの方法であってはいけない。

 理想を言えば、立地自治体で住民投票をして決すべきだと思います。投票の前に、施設側説明会、ではなく、再稼動の賛成派、中間派、反対派を交えて弁論大会でも開いた後で。

 推進派が場をしつらえる、旧来どおりの「説明会」では不充分でしょう。
 「九電の“やらせ”」とメディアが報じた情報操作はなしで、賛成派/反対派に2分して中間層を分断する演出もなしで、地元の人たちの大勢が納得できるように、総意を反映できる制度と運営が必要なはず。
 旧来の、施設側説明会はあまりに一方的かつ、一面的だったので、どうしたって納得感が薄いはずでしょう。後々まで、しこりも残るそうですし。


 真っ当な住民投票の上で、地元がNOと言えばもちろんNOだし、Yesとなれば再稼動してもらっても、アタシはいいと思います。

 「地元の理解」形成方法は、少しでも改善されてほしいところですけど。
 さらに、理想に理想を重ねてみると、「住民投票」をする「地元」は、旧来の施設立地自治体よりも広い範囲でおこなえると、もっといい。
 例えば「Lev7事故が起きた場合、被害が及びえると想定される範囲」とか、あるいは「Lev7事故が起きた場合、被害者難民を早期に受け入れることになる範囲」とかまで含めて、住民投票できる方がいいでしょう。


 原発の“安全神話”が崩れたんですから、事故もあり得る危険施設と踏まえたうえで、再稼動の是非を問うなら、最低限、それくらいするべき、とアタシは考えます。それがアタシの求める「前よりも少しでも暮らし易い世の中」の一面です。

      • -

 理想論、机上の空論を書いてる自覚はあるけれど。
 よく言えば、思考実験(??)。
 アタシは、横浜在住の神奈川県民で、東電ユーザーなので、アタシなりに新潟県柏崎刈羽原発のことを念頭に置きながら、書いてみています。


 報道によると、柏崎市の会田洋市長は、この2日、原発再稼働問題を「安全性が確保されていることが確認されれば(再稼働を)認めることになる」と公表。
 一方で、「脱原発新潟県弁護団」が、4月中に運転差し止めを求める提訴を準備中とのこと。

 アタシは、こうした3.11よりも前の旧態然としたやり方のまま、賛成/反対ばかりが声高に叫ばれると、中間層が二分されたり、地元にとってもきっとよくないだろう、と思います。

 他県のことにどうこう口を差し挟むのは考え物ではあるけれど、「原子力規制庁が発足後、再度ストレステストをしてから判断」とか、「向こう4年は運転停止」とか、説得的な理由付けがあるなら中間意見も出るといいのではないでしょうか。
(「向こう4年」ってのは、文科省が大地震の可能性が70%前後としてる期間。4年間の間に、地質調査とかじっくりする、とかの条件を付帯してもいいかと)


 東京電力は、柏崎刈羽原発の再稼動が無い場合、「向こう10年間10%の電気代値上げ」を一般家庭に課す、って案を出してるそうです。

 アタシ個人は、値上げ幅はともかく、向こう10年間なら、値上げを受け入れてもいいです。原発再稼動については、条件付で容認の個人的意見もあるんですけど。ここでは触れません。

 値上げ幅の方は、枝野経産相が、猪瀬東京都副知事の提言を入れて要請した、コスト圧縮の線で許容。10%はボリすぎよね(こっちも個人的意見)。


 何にせよ、再稼動の是非は、本当の意味での「地元の総意」で決せられるべきです。
 もし、地元の総意がNOと言うなら、東電も東電ユーザーも、強いてお願いできる筋なんかない。


 野田首相は、3日に、CNNやBBCなどの海外メディアのインタビューで、定期検査中原発の再稼働は「政治判断して、稼働をお願いせねばならない時は、政府を挙げて自治体の理解を得るべく全力を尽くす」て言ったと報じらました。
 地元の説得は、経産省と東電に任せればいいじゃーん。

 「政府を挙げて全力を尽くす」のは、原子力規制庁発足とかの方が優先と思います。