「サンデー・フロントライン」(テレビ朝日)22日放送分で、東京電力元副社長の人のインタビューが観られた

 22日放送分の「サンデー・フロントライン」は、普通に出来が良かったと思います。
 「サンフロ」の水準線はクリアしてたと思う。

 先週(15日)放送分や、先月の4月10日にやった回みたいに、特集的なまとまりの強い作りではなかったけど。ニュースショー形式の報道番組としては、こっちが常態。
 常態形式の回として、普通に出来が良かったと思いました。


 22日の「サンデー・フロントライン」で放送された報道を大別すると、次のような4つのニュースを話題として扱ってました(放送順)。

  • 長門裕之さん死去(21日)を受けての「長門裕之さん(77)逝く 愛妻への献身介護」
  • 1989年まで東京電力の副社長だった、もと技術者の人のインタビュー「“ミスター原発”が語るメルトダウン
  • 原発事故報道に携わる外国人ジャーナリスト3名の対談「“ニッポン不信”高まる? 海外から見た原発事故」
  • 新コーナー「発掘人物秘話」の第1回「伝説の扉 女優・田中好子

 扱うニュースは、話題としては4本だけど。それぞれに、補足的な短い画像クリップを織り交ぜたり織り交ぜなかったりするのは、「サンデー・フロントライン」とか、ニュースショー形式の報道番組のスタイルよね。


 長門裕之さん死去(21日)を受けての「愛妻への献身介護」は、かなり、出来が良かったんだわ。
 2008年から2009年にかけて、テレビ朝日系で放送された「報道発ドキュメンタリ宣言」で、長門裕さんの奥さん、故・南田洋子へのいわゆる老々介護を扱ったドキュメンタリーから、クリップした画像をふんだんに使って。それで、説得力のある報道になってたですね。
 やっぱり、レポート報道やドキュメンタリーは、取材に時間や手間かけないと、って思ったな。サンフロのコーナーでは、結果的に「取材に時間や手間かけた」画像を再利用できた形だけど。


 「“ミスター原発”が語るメルトダウン」「“ニッポン不信”高まる? 海外から見た原発事故」は、一連のコーナーみたいにして観れたし。福島原発の事故以来、不定期に原発問題、エネルギー問題を追ってる番組の一連の報道の一環と思って観ると、悪くなかったです。

 ことに「“ミスター原発”が語るメルトダウン」の方では、福島第一原発建設(1967年着工〜1971年営業運転開始)を原子力部長として陣頭指揮、福島第二原発柏崎刈羽原発の建設にも、直接ではないけど関わったって、元技術者の方の談話には、興味深いものがありました。
 この“ミスター原発”と呼ばれる方、今は退職された東電OBの方。日本原燃サービスの社長などを歴任って経歴の方だそうで、東京電力自体を退職されたのが何年頃なのか、は番組観ても、ちょっとわかんなかったです。
 この方(“ミスター原発”氏)は、元新聞記者の方が運営されてるブログ「政策とビジネスモデル」で公開されてる、5月14日付で記された取材メモでも「防げた事故だった」旨を、細かなスペックに言及しながら述べてられるようです。


 アタシ的には、「サンデー・フロントライン」で取材された“ミスター原発”氏の談話では、次のような部分に注目すべきものを感じました。

  • 水素爆発について「こんなに威力があるとは思わなかった」
  • ディーゼル(発電機)はタービン建屋にあることがおかしい」「本当は、私が作った最初の段階(福島第一原発を建設した段階)でね、そのことに気がつくべきだったと思いますけど。残念ながら、GEから、アメリカのGEから発注方式(一括発注方式)で、出来上がったところでこちらが受け取るということだったので。それとその当時はまだ、津波について、まだそれほど関心がなかった(後略)」
  • 「(原発の)安全に対する考え方が、途中、地震がこれほど多くなった時点でもっと見直さなきゃいけなかったのが、見直さなかったのは残念」
  • 福島原発原子炉の炉心溶融について「(事故発生後)1日か2日後に、これは溶融だな、と思った」
  • 東京電力炉心溶融を認めた時期について「遅い。なるべく正直に早い時期に言うべきだったと思う」「電力会社の連中に期待してもだめですよ、説明は下手なんだから」


 「サンデー・フロントライン」では、4月10日に放送した回でも、「なぜ危険性は“見過ごされたのか”」ってセクションで、過去の原子力安全委員長メンバーにインタビュー。「(原発の)『安全設計審査指針』を見直すべきだ」って談話を聞き出してましたけど。
 22日放送分の東電元副社長談話も、負けず劣らず重要なものが多かった。


 外国人ジャーナリスト3名の対談「“ニッポン不信”高まる? 海外から見た原発事故」の方は、実は「“ミスター原発”が語るメルトダウン」と比べると、かなり出来が悪かった気がします。
 パネラー個々の談話で、取材時の体験談とかに面白いものはあった。あったけれど、対談としては、話が拡散しすぎて失敗だったと思う。もっと、論題の「海外から見た(日本の)原発事故」に絞ればよかったんだけど、司会進行がうまく対談の流れを作れなかった感じ。


 新コーナー「発掘人物秘話」の第1回「伝説の扉 女優・田中好子」は、これは悪くは無かったです。
 4月21日に死去された田中好子さんの、女優としてのキャリアを、1989年公開の『黒い雨』中心に浮き彫りにしようって構成で、意欲的ではありました。
 新コーナーとしては、8日放送分で、やっぱり第1回をやった「ニュースの記憶」より、ずっと出来が良かったです。

 ただ、残念だけど、22日冒頭の「長門裕之さん(77)逝く」と比べると、負けてたと思うんです。
 「長門裕之さん逝く」のセクションで、スタジオトークに出演してた「ドキュメンタリ宣言」のディレクターさんは、「賛否両論まっぷたつに分かれた反響」があった旨言ってましたけど。
 それでも長門さんが、迷いつつもドキュメンタリーに意欲を持ってたって話してて。断片的なドキュメンタリー画像観ても、“迷いつつの意欲”ひしひしと感じられましたね。


 実は「サンデー・フロントライン」では、同時間枠でやってた前番組「サンデープロジェクト」の頃から、番組最後のセクションでは、長期取材で同じテーマ、あるいは関連する事件を追うレポートを、断続的に報じてくれてて。これの観応えが、番組全体に安定感、信頼感を生んでると思うんですね。

 きつい言い方すると、「女優・田中好子」は「長門裕之さん(77)逝く」と比べると、取材や編集構成にかけられた時間や手間が少なかったんじゃぁないか、みたに勘ぐれた。
 報じられたレポートの筋がまとまりすぎてる感じが、やや「まとめすぎ」な印象を生んでて、かけられた時間や手間が少なかったんじゃぁないか、みたいな印象を招いちゃってた。
 「長門裕之さん逝く」みたいなね、スタジオトークで何を言おうと、言うまいと、レポート画像からひしひしと感じられるもの、が薄かったんだわ。もちろん皆無ではなかったけど薄かった。


 ここのところの「サンデー・フロントライン」では、大震災被災地の現地取材に、時間も手間もかけた現地レポートの良作も放送されてたので。視聴者としては、そっちのタイプのレポートの方を伸ばしてくれた方が嬉しいと思いました。