資源エネルギー庁の思惑と原発事故の賠償スキーム

 昨日(18日)、東京新聞が、サイトの社説・コラムコーナーの一部「私説・論説室から」に、とても興味深い記事を公開してくれました。

 「オフレコ発言が示す真実」と題された記事で、記者署名は、長谷川幸洋さん。
 資源エネルギー庁の今の長官、細野哲弘氏が懇話会で「これはオフレコですが」と前置きして漏らしたコメントをすっぱ抜いた形の記事です。

 「同意したわけでもないのに勝手なオフレコ条件に応じる道理もない。」ってのが、記者の長谷川幸洋さんの考え。

 あまりに興味深い記事ですし、よくまとまってて、さほど長くないので、まずは、全文を引用させてもらいます。
 ちなみに、資源エネルギー庁ってのは、原子力安全・保安院の上の機関で、経済産業省の外局。

オフレコ発言が示す真実長谷川幸洋)2011年5月18日
 福島第一原発事故の賠償枠組み案に関連して、枝野幸男官房長官が銀行の債権放棄がなければ「国民の理解はとうてい得られない」と会見で発言した。
 すると、玄葉光一郎国家戦略相はテレビで枝野発言について「言い過ぎ」と批判し、閣内で認識の違いが露呈している。

 それだけではない。役所からも“枝野批判”が飛び出した。細野哲弘資源エネルギー庁長官が十三日の論説委員懇談会で「これはオフレコですが」と前置きして、こう語ったのだ。

 「はっきり言って『いまさら、そんなことを言うなら、これまでの私たちの苦労はいったい、なんだったのか。なんのためにこれ(賠償案)を作ったのか』という気分ですね」
 賠償案は株主や銀行の責任を問わず事実上、国民負担による東電救済を目指している。長官発言は「苦労して株主と銀行を救済する案を作ったのに、枝野発言はいったいなんだ」と怒りを伝えようとしたのだ。

 経済産業省資源エネルギー庁は歴代幹部の天下りが象徴するように、かねて東電と癒着し、原発を推進してきた。それが安全監視の甘さを招き、ひいては事故の遠因になった。
 自分たちがどちらの側に立っているか、率直に述べている。まあ正直な官僚である。同意したわけでもないのに勝手なオフレコ条件に応じる道理もない。「真実」を語る発言こそ報じるに値する。


 最初に、今政府が進めてる原発事故賠償のスキーム(枠組)についての、アタシの立ち位置(意見)をお断りしておきます。
 アタシは、賠償スキームの政府案、前後して出された案の内では、ベターだと思ってるし、方向性はいい、と思ってる意見です。

 例えば、東電が言った「賠償額に上限を決めてほしい」って案、あるいは、「東電全体を国有化」するって案(これだと、賠償金がみんな国民の負担になっちゃいます)、ほかにも幾つか案が唱えられましたけど。唱えられた案の内では、ベターだと思えます。

 ただし、アタシが、今の案を、いい方向性と思うのは「株主や銀行の責任を問わない」からでも、東京電力保護の観点からでもありません。

 東京電力は、送電網を含めて売れる資産は全部売却すべきで、賠償のための機構から資金援助を受けるのは、その後、ってのがアタシの意見です

 菅内閣も、東京電力の送発電分離は、少なくとも「可能性には含めて」るわけで、「再生可能エネルギー育成」方針との関連でも、その方向性を重視してるはず、って思えます。
 「政府」って言うと、内閣と指揮下の官僚組織も含まれますけど。資源エネルギー庁がどんな思惑でいようと、内閣の方は、それとは違った狙いを持ってると思える。


 東京電力がきちんと資産を売却すれば、株や証券の値打ちは当然下がります。株主や機関投資家、銀行にも、その程度の損は被ってもらわないと困ります。

 そこで、株主や投資家たちを救済する必要性があるとは、アタシには思えません。
 あれだけの事故を起こした会社の株主や、出資してる投資家が、自分だけは損を被りたくない、みたいに思うとしたら、それは考えが甘いでしょう。

 無責任な投資アドバイスに対する損失補填とは、わけが違う。
 「損を被る」って言っても、出資額に応じて、応分の損は被ってもらわなくちゃならないってだけの話ですし。とても当たり前の話であるはずです。


 で、東京新聞の記事が面白く興味深いのは、政治家や官僚の楽屋内政治の弊害が端無くも顕になった記事だってことです。細野哲弘資源エネルギー庁長官、よっぽどガックシきてたのかしら(苦笑)。
 うっかり、グチっちゃった感じかしらね??(笑)


 東京新聞長谷川幸洋氏がスッパ抜いた形になってる、細野哲弘資源エネルギー庁長官の談話、もしかしたら、この後、言った、言わないの水掛け論が展開されるかもしれません。
 一番面白くなる展開は、細野哲弘氏が「言ってない」と東京新聞に抗議した後で、論説委員懇談会に出席した別のジャーナリストが、「いいや、確かに言った」と証言してくれるような展開。
 一番つまんない展開は、細野哲弘氏が「いや、それは私が言ったことの本意が誤解されて受け止められたのです。意図しなかったこととは言え、誤解を招いた点はお詫びします」みたいに言って、うやむやにされちゃうこと、でしょうね。


 長谷川幸洋氏の記事を信じないわけではないけれど、実は「実際に何が言われたか」よりも、「経済産業省資源エネルギー庁は歴代幹部の天下りが象徴するように、かねて東電と癒着し、原発を推進してきた。」って、要約の事実性と、「それが安全監視の甘さを招き、ひいては事故の遠因になった。」って分析意見の妥当性(どこまで言えるか)の方が、有権者国民一般には、はるかに重要。


 アタシが思うには、経済産業省関連の官僚が、どんな思惑で、原発事故賠償スキームの案を作ったにしろ、東電資産のきちんとした売却などと組み合わせれば、国民の負担はかなり抑えられるはずです。
 この場合、東電株主や投資家、及び、国民は普通の国民一般よりも、東電への関わりが近いと見なします。
 投資なり、出資なりをした分の損は被ってもらわなくてはならない。

 枝野官房長官の記者会見発言、債権放棄がなければ「国民の理解はとうてい得られない」は、アタシはそうした筋での発言と思えます。


 ちなみに、記事は「玄葉光一郎国家戦略相はテレビで枝野発言について『言い過ぎ』と批判し、閣内で認識の違いが露呈している。」としてますけれど。
 アタシは、玄葉氏が出演した件のテレビ番組(「サンデー・フロントライン」15日放送分)は観てますし、HDD録画もして数回観かえしましてます。
 番組中の玄葉氏の発言は、記事で示唆されてるのとは、ちょっとニュアンスが違う発言だったと思います。

 TVで玄葉氏が、枝野発言を「言い過ぎ」としたのは「『債権放棄』まで言ったのは言い過ぎで、さしあたり民民の関係に任せた方がいい」って意味。政府筋が「債権放棄まで言うと事が大事になりすぎる」ってニュアンスだったはずです。
 つまり、民民の関係だと、「債権放棄」の手前に、(銀行)の利息減免、とか色々な段階も、民民の交渉次第であり得るわけですよね。

 15日のTV番組で、玄葉氏は、政府案になった賠償スキームは「東電保護のため」ではなく、「東電から事故被害者への迅速な仮払いや、上限の無い賠償金支払いなどのため」と明言してました。
 そして、何より、一連の発言の内で、「送発電の分離など、東電の企業形態が変更される可能性は、このスキームを採ることによって、妨げられないし、妨げられてはならない」旨も言ってました。

 アタシは、この「送発電分離案」の筋でも、政府案のスキームいいと思うんですね。
 というか、再生可能エネルギーの諸外国並み育成を実現するには、電力会社の送発電地域独占体制は、育成を邪魔してる制度的障害なので。これは、なんとか解除していかないとならない。


 経済産業省関連の官僚が、例え、「株主や銀行の責任を問わず事実上、国民負担による東電救済を目指」す思惑で、原発事故賠償のスキーム作ったにしろ、今の菅内閣の狙いは、そこからは外れる方向性で、そこがいいと、思います。(それに、さっきも書いたけど、実際に提案された案の内ではマシですし)
 もっとも、菅内閣の狙いが実現されるには、有権者国民の応援や、開かれた議論、って後押しが、とても重要になることでしょう。


 それにしても、枝野発言と玄葉発言、東京新聞長谷川幸洋氏が記事で示唆してるほどには、「閣内で認識の違い」無いだろう、とアタシは思います。