「サンデー・フロントライン」(テレビ朝日)15日放送分は、終盤の震災地現地レポートも良かった

 15日(日曜日)の午前中、テレビ朝日で放送された「サンデー・フロントライン」は、観ごたえがありました。
 15日付の記事では、民主党玄葉光一郎政調会長自民党石破茂政調会長の対談のことを書いて。16日付けの記事では、両政調会長対談をハイライトにしたような、番組冒頭〜中盤の構成も良かったこと、紹介しました。


 15日放送分の終盤1/3は、長めの震災被災地現地レポート「町長を失った町」。
 大津波に町役場が見舞われて、町長さんはじめ町役場職員の方たち1/4が犠牲になった、岩手県大槌町のレポート。
 このレポート、定点観察ってわけでもないでしょうけど、震災後数回、現地取材を重ねただろレポートと近日の取材レポートを構成。
 結果として、取材の延べ日時が長く費やされたことになって、それがいい風な結果につながった、って思うわ。
 現地レポートの類って、取材日時をかければいいってもんでもないでしょうけど。短時日の取材で手軽に作られた現地レポートって、やっぱり中身が薄いのよね。


 「町長を失った町」は、全体としては、町の自治体や町議会が、地域の再起に向かう経緯が報じられてるんだけど。
 震災直後の取材画像には、大きな被災に打ちのめされてるような人たちの様子も多く映されてて、現地レポートにありがちな「お話を作った感じ、絞込みすぎた感じ」になってない。
 「いろいろあるけど、でも、再起に向かってる」みたいなね、「いろいろあるけど」の面が、作りすぎ、絞込みすぎの感じを打ち消してるんだわ。そこがいいとこ。

 この2ヶ月ほどの経緯が、とびとびでも画像で報じられてるとこもいいのよね。住民の人たちが地域再起に向かう脈絡――つまり、どんな困難や苦しみがあって、どういうふうに取り組まれてったか、とか、を視聴者も画像で追いやすかったです。
 例えば、ちょっと前のことをナレーションでフォローする作りとかだと、やっぱり「いろいろあるけど」の面も単純化して報じられて、訴えかける力が弱くなるじゃん。それに、視聴者、報じられた出来事の脈絡、追いづらくもなるのよね。
 レポーター(又は、ナレーター)の要約を信じるか、信じないか、みたいになりがちで、視聴者なりに判断する幅が狭くなっていく。


 「町長を失った町」の場合、取材ディレクターの方が、大槌町と縁故をお持ちなんだとか。スタジオ・トークに参加されてて言ってた。
 「縁故」とか言っても、比較的軽いもので、子供時代数年間暮らしてた時期がある、ってお話でしたけど。取材地とディレクターの縁故も、このレポートではいい風に作用したと思います。


 「サンデー・フロントライン」では、4月10日放送分の「東日本大震災から1ヵ月」でも、番組冒頭の2/3が福島原発事故の報道に使われて、終盤1/3が震災被災地の長めの現地レポートって構成大枠だったんですけど。
 5月15日放送分でも同様の構成が踏襲されてて、これもいい効果を生んでたと思います。