イングランドの暴動事件について、覚え書き
UKのイングランドでは、今月の8日(土曜)から、4日間に渡って、複数の都市で、前後して暴動、略奪が断続した。
これらの暴動、略奪は、携帯でSNSを経由したフラッシュ・モブが媒介しなければ、こうも各地に“散種”はしなかったんじゃぁないか? そんな気はする。
仮に“散種”と書いてみたけれど、暴動がイングランド各地の都市で相前後して断続した様子は、とりあえず「伝播した」とみなさないほうがよさそう、って思える。
つまり、暴動が広がりながら断続してった展開パターンは、決してシンプルではなさそう、って思える。
イングランドの暴動には、SNS経由での“煽動”の類は関与してたようです。関与の度合いについては、まだ、これから解明されてくんでしょうけれど。
少なくとも、“散種”した先の各地では、元々不満やら鬱積の類が煮詰まっていたんで、都市ごとに急速に激化した、って事情はありそう。
ここでは、予想として、「SNS経由での“煽動”」がきっかけで、「(各地での)ローカルな伝播」をしていったって、あたりをつけてみたい。
例えば、2005年にフランスで起きた暴動事件(日本で「パリ郊外暴動」と呼ばれる暴動)は、10月末に起きて、11月上旬までに、リヨン、トゥールーズなどの大都市に飛び火。非常事態宣言も出されたけれど、11月中旬には沈静化。この間、10を越える県に飛び火した。
2005年のフランスでも、暴動は、各地で前後して起きたわけだけど。
こちらは、大都市近傍に形成されてた、衛星都市的な居住区地域に暴動が飛び火、そしてエリアの中核都市部(大都市部)に繰り出してった、ってパターンがつかみやすかった。 実は「パリ郊外」暴動って呼称には、不精確なものもある。2005年のフランス暴動の火種になったのは、大都市圏の外周部に形成された、低所得者向け住宅中心の衛星都市にも似た居住区って特性はあったから。
これに、当時のフランスの移民労働者層の生活様態とかを重ねると、暴動の発生も、飛び火の事情も、かなりの経緯が推測できるらしいけれど、アタシは詳しくは知らない。
一方、イングランドの暴動だけど、“飛び火”の様子に同様のパターンは見出しづらいかもしれない。少なくとも、2005年のフランス暴動のように、大都市近傍で火がついて、エリアの中核都市部に広がったり広がらなかったり、って事態ではなかったと思える。
特に、グレーター・ロンドン(大ロンドン)での暴動は、BBCによれば、市域の3割を蹂躙した、とか言われてて。
いきなり、大都市圏の内側で突発して、グレーター・ロンドンの場合は、大都市圏の内部でも、ランダムに“散種”したみたい。
イングランドの暴動は、4日間って、比較的短い日数で沈静化されたわけだけど。
BBCの報道を観てるだけでも、UK社会がかなり深いショックを受けてる様子は察せられる。
1つには、首都圏の内部が、放火や略奪をともなう暴動に荒らされた、って事情はあるでしょう。
もう1つには、1部とはえ、暴動にロウ・ティーンの少年たちも加わってた、って事態にもショックを受けてる気はする。色んな画像を観てると、暴徒のボリュームソーンは、ミドル・ティーンからハイ・ティーンかと思えるけれど。
けれど、SNS経由の“煽動”に容易に煽られる不満や鬱積が、薄く広く大都市圏の内部に広がっていた(らしい)って様子が、UKの市民社会にロウ・ブロウなパンチみたいなショックを、1番深いとこで与えてるんじゃぁないか。そんな気がする。