BBC報道に観られるバランス感覚、と、報道一般の中立公正

 BBC WORLD NEWSで、報道番組を観てると、日本の報道番組とも、U.S.(アメリカ)の報道番組とも違うなーって思う。まぁ、とりあえずは、印象論のレベルで「なんか、違うよね」って思うわけだけど。

 例えば、今月イングランドのいくつかの都市が暴動で荒らされた後、暴動被害にあった都市のストリートで、レポーターが、ストリート・キッズ風の若いお兄ぃちゃんにインタビューしてた短い現地レポートがあって。

 記憶で書くけど、細かなとこはともかく、大筋はこんなやりとりだったんだわ。
 「オレたちにゃ、職もなきゃ、明日の希望も見えね。だから暴れるにきまってるじゃねぇか」「わかんないな、商店街に放火すれば、職が得られるようになる、と思うの?」
 短いやりとりの最後、路上でインタビューされたお兄ぃちゃんは、カメラに向かって挑発的にハンド・サインをかざしながら、とっとと立ち去ってちゃった。


 このインタビューの訊き方は、レポーター個人がもってはいるだろう、道徳的な価値判断による決め付けみたいなものが、ちゃんと抑制されてるとこがいいのよね。予断に基づく決め付けが、きちんと抑制されてる。
 「まず、相手の言い分は聴こう」、「その上で、わからないポイントは率直に訊く」、そんな報道姿勢がはっきり感じられる。


 実はアタシ、CSのBBC WORLD NEWSを観始めた直後から、もう何年も、「なんでBBCに出来る率直で平明な報道が、NHKにはできないんだろう?」「どっちも公共放送なのに??」みたいに思ってた。
 細かなことを言えば、BBCはUKの公共放送だけど、「BBC WORLD NEWSは完全な公共放送ではない」んだけどね。CS受信料と広告収入の2本立てでやってる事業。
 でも、それを言ったらNHK本体は公共放送ってことでやってるけど、NHK出版やら、NHKエンタープライズやらの関連会社には営利事業体もあるのよね。


 3月の東日本大震災原発事故の後、BBC WORLD NEWSでも、普段より大量に日本で取材した報道レポートが流されて。
 BBCの報道と観比べて、「NHKの報道は玉虫色でわかりづらい(例が多い)」「BBCの報道で目立つような(全部とは言わない)、率直なわかりやすさが足りない」みたいに思った。


 今回、イングランドの都市で多発した暴動についてのBBCの報道を、それなりに観て。
 もし、日本で同じような事件が起きちゃったら、NHKや日本の報道メディアには、BBCみたいな「フェアで(公正で)率直な報道」は、やっぱり期待薄だわね、とか思っちゃったな。

 例えば、NHK・BS1のワールドWaveで流されたBBCのニュースでも、暴動に加わった者と、SNSで暴動を煽った者の間での量刑の公正さについて、疑問を唱える意見を、きちんと報じてた。もちろん、この「意見」はBBCの意見じゃぁない、UKで唱えられてるいろんな意見の1つなだけ。
 少数意見かもしれない立場の相手についても、ちゃんと報じる、って姿勢、NHKや日本の報道メディアには薄いと思うんだわ。


 例えば、15日付の記事で紹介した報道レポート、“Londoners join together to protect communities”(ロンドンっ子地域コミュニティーを守るために団結)だけど。
 この2分10秒って短さのレポートは、東部ロンドンのホックニーでの平和的な民衆集会、西部のサウスウォールでの商店街自警団、自警団は緊張を高めるから自警団は歓迎しない旨述べる警察関係者をコンパクトに報道。
 ロンドンっ子の地域コミュニティーの間の暴動批判の空気を伝ながら、平和的な批判と、積極的な自警と、治安維持との間で、実にバランス感覚がいい。
 集会参加者、自警団の参加者、警察関係者、それぞれのコメントは報じるし、それぞれに要約をつけてはいるけれど、レポーターはそれぞれの立場の是非について評価を下そうとはしていない。予断もきちんと抑制する。

 アタシは「報道」って、基本的にこういうものであってほしい、って思うな。

 ぶっちゃけ、事件の是非や善悪について、レポーターや局の評価なんて聞きたくない。
 局の関係者が、解説って名目で論評を加えるの不必要。どうしても論評や評価を聞きたい視聴者向けには、専門家を招けばいい。
 その場合も、どんな専門家の意見も幾つかある意見の1つとして紹介、バランス感覚を保った報道にしてほしいんだよね。


 この「バランス感覚」って奴が曲者で、報道する側も、報道を受け取る側も、「何と何との間のバランス」なのかは、意識した方がいい。
 例えば、原発関係の報道だったら、「拡大と現状維持と暫減と即時撤廃」の間で中立なのか、それとも「経済性と安全性」との間で中立なのか。
 いろんな意見があり得るのに、原発賛成派/反対派なんて粗雑なくくりに押し込めようとすること自体、公正ではない。要するに、予断に満ちた決め付けってことよね。


 さっき例としてあげたBBCレポートの場合、「平和的な批判と、積極的な自警と、治安維持との間」のバランス感覚が良かったわけ。

 報道関係者は、よく「中立公正」って言うけれど、「公正さ」の方はともかく、無制限な「中立」なんてあり得ない。常に「何かと何かの間の中立的」でしかないはず。
 「無制限な中立」なんて、抽象的な観念で、哲学議論とかならともかく、実際的な報道にそんなものを求めるのってナンセンスなんだわ。
 常に、「報じる題材」との関係で、何と何との間の中立なのか? が、その都度、意識されないと。
 ぶっちゃけ、NHKの報道がしばしば玉虫色で何を伝えたいのやらわけがわかんなくなりがちなのも、本来、出来るはずもない「無制限な中立」を出来るつもりになってやってるからだ、ってアタシは思うな。