BBC WORLD NEWS:震災に見舞われた週末“World Features”は、日本の震災と原発事故の速報報道に充てられていた。

 この記事は、東日本大震災東京電力福島原発で起こした事故から、1ヶ月以上過ぎたあとに書くことにします。
 当時、一通り観た後、HDD録画を消去しないでおいた、報道番組を再度観て、書きます。


 3月11日の14時46分18秒に東日本大震災が起きて、東北地方の東岸一帯が、巨大津波に見舞われ、当初は「東北沖大地震」などと報じられてました。
 東京電力が、原子力災害対策特別措置法を踏まえて原子力緊急事態宣言を発表したのが、同日20時50分。

 11日の金曜日からの1週間は、日本の地上波TV放送は、震災と原発事故に対応した特別編成だった。少なくとも首都圏では、そう。
 11日から14日の月曜日にかけては、当然だったと思うけど、震災、原発事故関連の報道に占められてた印象で。アタシの記憶だと、首都圏でも月曜日(14日)あたりから、少しずつ通常番組も増えたような気がします。


 日本の報道メディアがそうした状態だったのは当然ですけど、国際的な報道メディアでも、11日〜14日の日本報道の集中度はとても高かった。
 アタシが、当時観てた範囲では、特に、BBCBBC WROLD)と、CNNの取り組みが熱心だったと思います。

 この2局は、もともと国際的な取材報道のネットワークとして、体制も整い、使命感も高いからだ、と思うな。
 フランスやイタリア、ロシアからも専従取材クルーが、前からの常駐特派員と別に送りこまれてたようですけど。緻密な報道から感じられる熱心さは、BBCとCNNが群を抜いてたように記憶しています。

 「緻密な報道から感じられる熱心さ」。
 つまり、取材対象に感情移入してみせたり、詠嘆したり、大げさなコメントつけることが「熱心さ」ではないわけじゃん。「報道」って行為の性格から考えれば。


 BBC WORLDとCNNは、地震津波、そして原発事故の発生直後から、日本から発信される報道クリップや、ネットから選び出された画像ファイルを次々報道、当時緊迫していたリビア情勢の報道時間を圧縮してまで、日本の様子を報じていました。

 14日の月曜日、BBC WORLDではすでに東京に入っていた極東圏のキャスター、普段、香港やシンガポールからニュースを報じてる人が東京からの報道を始めてた。
 それだけでなく、震災被災地に入る現地レポートクルーも日本に入国を始めてた。
 この動きは、CNNもほぼ同様だったと思います。

 11日〜13日のネットなどを介した遠隔地からの集中した報道から、現地(日本)に専従クルーを派遣して本腰を入れた長期報道にシフトしたのが、14日だったと思います。
 少なくともBBCとCNNについては。
 折りしも、14日は、東京電力の送電管区で、計画停電の開始が予定されてた日でした。


 ずっと後になって、あるヨーロッパ系雑誌社の取材チームが、日本には来たけど、関西から動かないで、伝聞をまとめた記事を本社に送ってたとか、すっぱ抜かれたりもして。
 14日以降しばらく、日本についての報道では、大げさなものやいい加減なものも目立った。
 目立ったとは思うけど、数は多くも無かったんじゃぁないかしら?? アタシだって、海外報道を全部くまなく観てたわけじゃないから、わかんないけど。
 でも、「全部くまなく観てた」人なんて、誰かいるのかしら?

 アタシの印象論だと、BBCの報道は概して冷静だったと思いますし、CNNの報道も、概して公正だったとは思います。印象としてはCNNの報道には偏った感じを覚えたものもあったけど、これは、本国のスタジオで現地レポートを受けたアンカーのコメントに、時としてバランス感覚のズレた、偏りも感じられた、くらい。


 BBCやCNNで、震災以前にも日本が報道されることはあったけど。ある程度長い期間に渡ってこれだけ広範囲に、高密度に日本からの報道が連続したことは、多分、始めてだったと思います。
 BSのネットが、世界をつなぐようになってからは、初めてよね、きっと。

 首都や地方都市や漁村や農牧地で、職業も年齢も性別も様々な人たちの様子が、次々報じられた。
 観てると「日本人にも実に色んな人たちがいる」ことと、それでも「集団として動くと、他国民とはかなり違う特性」を示すことにどうしても気づく。
 視聴者も気づくし、報道してるレポーターたちも(ちゃんと現地に入ってる人は)気づいてる。

 「日本人にも実に色んな人たちがいる」ことと、「集団としての動きをみると気づかれる特性」とは、広い構図の1枚の絵に重なってみえるけど、レイヤーは違うのね。

 言葉で要約すると当たり前のことにしか聞こえないけど。
 例えば、少なくないレポーターが報じてた「日本人は忍耐強い」といった評。これは「集団としての動きをみると気づかれる特性」。
 ぶっちゃけ、「日本の1人1人」がみんな「忍耐強い」わけじゃぁないのよ。
 被災地に入ったカメラが、映してた。
 そこには、悲しんでる人、怒ってる人、呆然としてる人、ふさぎ込んでる人、愚痴ってる人などなど、実に様々な人がいた。けれど、「集団としての動き」は、他国民より、かなり忍耐強い。
 暴動も、集団略奪も起きない。お上には従順に見えるし、理不尽な出来事に見舞われても、まず我慢をしてしまう。
 忍耐にだって、状況に応じていい面と良くない面とがあるのだわ。


 それだけのことだし。
 とても、大事なことでもあるのだわ。
 イジメをされても、まず我慢をしちゃう、なんてのは、良くないじゃん。


 アタシたち日本人だって、国際報道観てると、ついつい「アメリカ人ってゆーのは」とか、「フランス人ってゆーのは」とか、あるいは「中国人は」とか、「韓国人は」とか、「アラブ人は」とか、そーゆー粗雑な考え方しがちです。

 どんな国にも、いろんな人が住んでる、って当たり前のことだけど、だから、大事。


 日本のメディアは、外国の報道が「日本人の忍耐強さを賞賛している」みたいなことばっかり言いたがります。
 そうした面も確かにある。ただ、「賞賛」と同時に、彼らの報道には「戸惑い」や「違和感」の色も含まれている。
 例えば、震災直後、イギリス(かどっか)のスタジオから、東京駐在のレポーターに聞いてたBBCのやりとり、アタシまだ覚えてるわ。

 「東京は、混乱状態でしょうね」
 「いえ、混乱という状態ではないですね。こちらの人たちは……なんていうか、地震には慣れてるんですね」


 彼ら日本で現地取材した報道人たちは「被災地の人たちの忍耐強さ」は、率直に賞賛してる。
 反面、「なぜ、日本の人たちの間からは、政府や東電に抗議する動きが出ないんだろう」と戸惑ってた。少なくとも初期には。
 数日後、東電の本社に抗議デモはじまった頃には、BBCは「日本ではこうした抗議行動は、とても珍しいものです」ってちゃんと報じるようになってた。


 海外の報道メディアは、日本人の大方が思っているよりは、日本の社会のことを良くわかってると思います。
 もっと正確に言えば、日本の社会のことをよく理解してる人は、大方の日本人が想像してるよりも、外国人の間には多い。

 もちろん日本にだって、外国人や他国の社会のことをよくわかってる人はいる。
(広く外国を知ってるみたいなことじゃぁなくって、イギリスのことならよくわかってる、とか、韓国のことならよくわかってるとか、そういう人たちのことだけど)

 ただ、日本の社会と欧米の社会には違いもやっぱりある。
 必要が生じた時に、「良くわかってる人」の意見が柔軟に聞き取られること。ここはかなり違う。
 報道メディアではそうだし、政府機関でもそうみたいね。