ドキュメンタリー“Green”

 15日は、NHK・BS1の「世界のドキュメンタリー」枠で、“Green”がアンコール放送された。
 このドキュメンタリーは、フランスの製作会社による作品で2009年公開。同年、ジャクソンホール自然番組映像祭(U.S.A.)で最優秀賞を受賞。


 導入部は、森から連れ出され保護されてるらしい1頭のオランウータンに焦点をあわせて、主に、このオランウータンの姿を追っていくドキュメンタリー(それだけでもないんだけど)。
 画面に入る人物の言葉は録音されてなくて、BGMの類も、極一部で使われてるだけ。
 バックグラウンド的な自然音は利用されてるけど、結構、強く調整が加えられてる音もあかな(?)。観てて気になるシーンもありました。


 このフィルム。興味深い作品だし、面白いシークエンスもあったけど。ドキュメンタリーとしては、少しやり過ぎかもしれない、って気もしました。
 例えば、保護されたオランウータンが、何かの事務所で目覚めるあたりで、オランウータンの視野を想定しつつなぞるように室内の様子を舐めるカメラワーク。ここは、作為な感じが前面に出すぎな感じかな?
 もちろん、ドキュメンタリーの類で、無作為な画像が採れるなんてことはあり得ないんだけど。作為(狙い)をもったカメラ・フレームの内に、作為性を揺るがすような画像が録画されることが起きると、訴求力も、視聴者に働きかける力も深まる。
 そういう意味で、ドキュメンタリーとしてはやり過ぎ感を感じました。
 でも、まあ、野生記録フィルムの類とみなせば、ドキュメンタリー・フィルムの1種なんですけど。


 この作品を観て、いい意味で戸惑い、考えてしまうのは、「野生記録フィルムの類」にあるような手法を極端化して採用しながら、森林伐採や、大規模な木材消費の画像も構成してるところ。レポーターは登場しないし、ナレーションの類も一切なくて、調査報道的なドキュメンタリー作品にはなってない。
 強いて言えば、「音声つきの画像を編集したルポルタージュ」。あるいは「おいつめられていく野生を記録したような、野生記録フィルム」。どちらにしろ、尖がった面のある作品だとは思えます。
 「自然番組映像祭」のような催しで賞を採る事情も想像できないではない(アタシは、その催しがどんな趣旨で開催されるものなのか、詳細を知らないけれど)。

 ただ、アタシは個人的には、この作品、今、1つ感心しきれなかったな……納得しきれなかったと言うか……。興味深い作品だし、果敢に取り組まれたとは思います。そういう面は評価できるけれど。不必要に視聴者を選ぶようなドキュメンタリーだと思います。
 例えば、ある種のドキュメンタリーは、痛ましいような、あるいは残酷な出来事に取材しているために「どうしようもなく」視聴者を選んでしまうことがあるけれど。このフィルムは、もっと視聴者にフレンドリーに作ってもよかったのではないか(??)、ドキュメンタリー作品としてはそう思います。
(実は“green”、痛ましいような出来事も記録してはいるので、この話は一筋縄では割り切れないのですが)

 カメラや編集には面白いところも少なくない作品で、映像作品としては、これはこれでいい、とも思います。


 ところで、NHKの放送枠では、番組の冒頭に解説者による解説が挿入されて放送された。
 この番組の場合、解説の挿入には、差し出がましい感じを強く覚えたわね。
 特に、導入部を短く流した後に挿入された解説インサートは、作品の狙いに対するノイズのようにすら感じられて、はっきり言ってシラけだ。せめて、番組終了、日本版も含めたキャストロールの前に挿入するか、せめて、前編の頭に置くかした方が良かったはず。

 細かなことを言うなら、解説者が「“green”というのは、番組で主に追われたオランウータンに付けられた名前だ」とコメント。これなんか、まったくのノイズなのよね。作品内にそうした事情を伺わせるカットはまったく採録されてないので、完全な作品外情報にあたる。
 もし、NHK側に、「この情報を視聴者に伝えたほうがフレンドリーだ」的な判断があったなら、その場合は、解説自体を番組の後に置くべきだ。

 作品の邦題『グリーン 森を追われたオランウータン』も、副題にあたる部分がまったくのノイズになってる形。単に“green”と付けられたタイトルは「森林」自体を指すものともとれて、その辺の判断は視聴者に委ねられた作品であるはずだから。

 つまり放送枠の序盤に挿入された解説パートは、ただのノイズではなく、製作者の意図を限定的に方向付ける形で視聴者を誘導する、差し出がましいノイズになっている。