「爆走都市」シリーズ,NHK・BS1世界のドキュメンタリー

 アタシは、NHK・BS1でやってる「世界のドキュメンタリー」って枠が割りと好きなんだけど。題材によって、それなりに観たり、観なかったりしてます。

 28日には、2009年にNHK他の「国際共同制作」とのクレジットで、1連のドキュメンタリー、「爆走都市」全4篇のアンコール放映が終了。
 24日の月曜日から、断続的に、4本がアンコール放映された。「共同制作」のクレジットは、NHKNimbus Film、DR、Sundunce Channelで、製作年は2009年。

 4本の放送順は以下のようでした。

  • 「中国 上海」
  • 「コロンビア ボコタ」
  • 「エジプト カイロ」
  • 「インド ムンバイ」


 最初のアンコール「中国 上海」を観たときは、シリーズ・タイトルから、アタシが期待した中身とちょっと違ってて、戸惑いました。でも、2本めのアンコール「コロンビア ボコタ」はすごく面白かった。

 ドキュメンタリーみたいなジャンルを、面白い/面白くないだけで評価したら、いかにも雑でしょうけれど。
 とりあえず、ここでは「世の中にこんなことがあるの!?」とかの「新鮮な驚き」みたいなことを、雑駁は承知で「面白さ」と呼んでみたい。

 アタシが勝手に思うには、この4本、実際にオンエアされたのとは別の順番で放映されたら、もっと楽しみ易かったかもしれない。
NHKにはNHKの編成意図があったのでしょうけれど)

 アタシならこうするって勝手に妄想した(笑)放送順は、「ムンバイ」「カイロ」「ボコタ」「上海」。


ムンバイ編:
 「ムンバイ」編では、南インド西部の商都ムンバイでの交通渋滞と、交通渋滞の解消を狙ったインフラの建設計画を巡るてんやわんやが描かれてる。
 序盤の方で、日本の通勤通学の満員電車が、まともに思えるような、ムンバイの鉄道の超満員状態が描かれて強烈。あまりに満員で、乗り切れない利用者が、何人もプラットフォームに残るんだけど、はじめから車内に乗れないって見切った若い男性乗客たちが、何人も列車の屋根に上ったり、車体の横にぶら下がったりして、それでも運行しちゃうのね。
 敗戦直後の日本の列車の記録映画で観たような絵面なんだけど。そんなのが、普段の常態と思うと、さすがにビックリ。

 ムンバイ編では、世界銀行の支援を得ながらも、建設が難航してるムンバイの環状道路の建設を統括してるお役人さんの様子と、環状道路の建設遅延が理由で、急遽、建設計画がもちあがった高架道路に反対する地元住民とが描かれるんだけど。その間に、電車での通勤を諦め、スクーターを使ってる中流階級のお父さんの様子が入る。
 このお父さんが、タタ・モーターズから(撮影当時に)新発売されることになった自家用車「ナノ」を買うのね。で、金持ちや欧米人は、自分たちがずっと自動車に乗ってるくせに、渋滞が酷いと環境が悪化するとか言う「貧乏人は自動車を使うなと言ってるようなもんだ」て、カメラに向かって怒る。「まず、お手本を示せ」、つまり、自分たちが自動車を使うの止めて、自転車にでも乗れ、「そうしたら、俺は自転車も買わない。歩くよ」、とも言う。
 こことか、面白いんだわ。


カイロ編:
 「カイロ」編では、過密化が進んでるカイロで悪化してるゴミ処理の事情が、題材になってた。

 観てビックリしたのは、カイロ市内に何%か住んでる、コプト教徒(エジプト正教のキリスト教徒)が、市内に数箇所ある(あった)ゴミの村、と呼ばれる地域に住んでて、廃品回収と、廃品リサイクル製品の販売を生業にしてた、ってあたり。
 エジプトのコプト教徒は、全体としては南部(上エジプト)の方が多いけど、下エジプト(北部)ではカイロとアレクサンドリアに集住がある。アタシは、知識としては、カイロではコプト教徒の宗教祭儀にイスラム教徒も季節の行事として多数参加したりって話は聞いてて。呑気に「保守的な南部農村部とは違って、大都市はやっぱり宗教的な寛容さも高い」くらいに思ってたんだけど。
 どうも、観てる限りでは、カイロのコプト教徒に職業選択の自由はありそうにない。これは、今の日本のセンスで言ったら、被差別集団なんだけど。画面に映ってる限りの印象では、コプト教徒たち、自分たちの生業、胸を張って勤しんでる(勤しんでた)感じなのね。やっぱり、信仰の力って、善くも悪くも凄いのよね、と納得。

 実は、「カイロ」編のメインは、都市域の拡大と過密化が同時に進行してるカイロで、市当局が、欧米式の廃品収集システムを始めたけれど、って経緯がメインの題材。当局から嘱託された外部業者の廃品回収が、伝統的慣習と噛み合わなくて、トラブル続出。うまく機能してない、って事情が取材されてく。
 アタシにとっては、残念だったんだけど、カイロのコプト教徒は、再開発かなんかの名目で、「ゴミの村」から都市近郊に移転するよう、当局に言われたってあたりで、番組に登場しなくなる。
 移転に補助金がもらえるのかどうか、とか、移転先で生業はどうすることになるのか、とか、気になることは描かれない。ただ、これは番組の主旨から言えば、仕方ないって言えば仕方ない。それでも、その辺の情報を手短に挟んでほしい気もしましたけれど。

ボコタ編:
 「コロンビア ボコタ」では、コロンビアの首都、ボコタの奇跡的な都市再生の経緯が描かれてる。面白かったのは、南米のエネルギッシュな民主主義の一端。
 例えば、首都でも市長の権限が大統領の要請を跳ね除ける都市自治だとか。だからこそ、市長の再選(連続再選)は禁止だとか。

 アタシなんか、昨今のコロンビアが、中南米諸国では、トップに近いペースで経済成長を果たしてる、とかは聞いてても、やっぱり、刷り込まれてる通りいっぺんなイメージが色濃い。例えば、麻薬密輸出の国で治安がよくない、とかね。
 「コロンビア ボコタ」で描かれた都市再生の様子は、そうした通俗的なイメージを揺らがす力はありました。

 もちろん、1つの都市再生の成功事例が肯定的に取材されてて、スラム地区だってまだ残ってるはずだけど。
 このドキュメンタリーについては、アタシはそうした絞込みは気にならなかったな。
 2人の候補が、バトンタッチをするように、交互に2期ずつ、都合4期、市長として市民から選任され。都市再生に実績をあげていった経緯を描いてるんだ、と観ててはっきりわかるから。

 例えば、1人の市長が在任中「暴力による市民の死亡者が1/3も減りました」とかアナウンスしてる画像も、ドキュメンタリーの1部に収められてる。2/3は続いたわけだけど、「1/3も減った」ってのは、すごい実績よね。
 この2人の市長が、どっちも無党派ってとこに、「南米のエネルギッシュな民主主義の一端」が感じられました。

上海編:
 「中国 上海」では、高層化した現代的な都市環境が近郊農耕地域を急激に呑み込んでく様子を背景に、文化大革命の頃にはもう、上海近郊の自然景観を撮影してた、アマチュア写真家に焦点があてられてる。

 初老の写真家とその妻が、都市再開発で移転をよぎなくされるって“ストーリー”が主筋になって、40年慣れ親しんだ生活環境が失われていく初老の夫婦の、やるせないような感覚は、それなりによく表現されてた。
 アタシのこの評価を、ドキュメンタリー作品に対して、あまりに文芸的と思う人もいるかも(?)しれないけれど。実際、こうした「にんげんドラマ」の表現は、もっとフィクションに寄った作りの方が、鮮やか描けただろう、って気はする。

 もちろん、単体のドキュメンタリーなら、ありな「にんげんドラマ」路線なんだけど。
 「爆走都市」ってシリーズタイトルから、アタシが期待したのは、もっと違ったものだった。
 例えば、多数の人々の生活を翻弄しながら、怒涛のように暴走する都市拡大の運動、のようなものを、なんらかのアプローチで描いてくれるかと期待してた。
 あるいは、都市住民が強いられる群集的な生活様態(ライフ・スタイル)、例えば、ムンバイ編や、カイロ編で映しだされたような。

 上海編では、調和のある都市環境再開発の理想的プランニングを熱心に語る、大学教授の談話が、随時カットインされて、初老のカメラマンの生活ドラマとの対照を意図したのかな、とは感じられる。
 そこまでは察せても、理想的プランニングと、実際の都市空間から喪われていくものとの差違は、今一ソフトフォーカスな感じでしか表現されてなかったと思う。

 「中国 上海」は、「にんげんドラマ」タイプのドキュメンタリーとしては、悪くないと思うけど、「爆走都市」シリーズの1編としては、喰い足りないものがある。これが、アタシの個人的評価でした。