MtFTGの自称2

 アタシが、普段から女装で暮らすデイリーな女装者になって、10年くらい過ぎたんだけど。
 それ以前の、週末女装みたいな、遠出した出先で女装して、特別な時間を過ごすスタイルよりも、こっちの方がアタシにはあってて、デイリー女装に移行してよかった、と思ってる。

 ただ、世の中には、性自認が♂で、女装は趣味って方もいて、そういう方はやっぱり、女装をするのは特別な時間なんだろうと思います。それがやり甲斐なんだと思う。わかるつもり。

 あるいは、性別適合手術(SRS,Sex Reassignment Surgery)を経て、戸籍性別の更新も目指してる方にしてみれば、アタシ程度の女装生活は、なんてゆーか……ヌルイものに思えるでしょう。
 それもわかってます。

 アタシのデイリー女装は、ヌルク曖昧な女装暮らし。それでも、オトコの振りを続けなくてはいけない暮らしよりはストレスがとても少なくて、アタシには合っている。


 MtF(Male to Female)な人たちの間で、アタシが、まがい物のTGなんじゃぁないか、みたいに言われることもあるのは、アタシのパス度が低いからだし、ホルモン投与もしてないから。
 パス度が低いのは……なんとかしたいですね。自分で許せるラインから頑張るだけなんだけど。
 ホルモンのことは……、これは、アタシ世代的なものだと思ってます。

 日本で「性同一性障害者の性別の取扱いの特例」法が施行されたのは、2004年。この法律制定の検討が国会でスタートされたのは、まあ2000年とみていいと思います。

 アタシが、本格的な女装をはじめたのは、1980年代。週末女装的なスタイルだったわけですけど。大学生になって親元を離れてから。
 仲良しになったゲイボーイの子と遊びながら、あれこれ教えてもらって。
 例えば、ホルモン投与してた人が、強い欝みたいな感じになって自殺した話とかね。その人とはアタシも何度か会ったことはある。GID正規治療のガイドラインが整えられるよりもずっと前の話。

 何が言いたいかってゆーと、アタシの世代だと、ホルモン投与をするのに、今の若い人たちよりも抵抗感が強かったと思うのだわ。
 それでも、同じ世代でも、止むに止まれずホルモン投与やSRSに進んでいく人はいて、そういう人たちと比べれば、アタシみたいな路線は“ヌルク”思える。
 それはそうだよね。


 ただ、今のTS/TG/TVの用法に、概略、「SRSまで進む人がTS(TransSexual)」、「SRSまでいかないけれどホルモン投与をしてる人をTG(TransGender)」、それ以外の女装者を「TV(Transvestite)」とする用法があるけど(例えば日本語版のウィキペディアにもそんな用法が書かれてる)。アタシはこの用法にはとても強い違和感を覚える。

 セオリーのレイヤーで言えば、セックス(Sex,性別)とジェンダー(Gender,性差)の源義を踏まえておかしいと思う。
 けれど、ほんとのもんだいはセオリーじゃぁないよね。
 性別違和の強度のもんだい。つまり、身体感覚のもんだい。
 例えば、TSの友達が局部自傷をしたと聞けば、ああ、やっぱりあの子は、アタシにはわかりようがない辛さを抱えてるんだな、と思う。思わざるを得ない。思い知らされるっていうか。

 だから、アタシは正規SRSのガイドラインが整えられたことは、過程、一里塚としていいことだと思ってる。
 けれど、個人の性自認が国家に――具体的には戸籍を媒介にして管理されるって体制は、究極的には不都合と思えます。
 これだけ、住民基本台帳の制度が整えば、戸籍制度と2重の管理体制は無駄以外の何ものでもない。戸籍なんて、この国にとっては盲腸のようなもの。


 正規SRSのガイドラインも戸籍制度を前提にした体制ではあるのですけれど。それは「現状では仕方ない」もの。
 けれど、国家は国民1人1人のためにあるのであって、国家のために国民がいるわけではない。だから、究極的には、戸籍制度を前提にした、性別管理も含めた諸制度は、過渡期的な“必要悪”(「現状では仕方ない」)なんだとしか思えない。

 戸籍制度は、この国にとって盲腸のようなですけれど。
 相続法だとかなんだとか、旧い法制度に、戸籍制度を前提にしたものがいくつも残ってる。でも、そうした法制は改変し得る。改変にはコストはかかるはずだけど、そのコストは初期投資にすぎない。改変してしまえば、住民基本台帳1本でスッキリやっていける。

 正規SRSのガイドラインも戸籍制度を前提にした体制なんだけど。その範囲でも、運用は、暫時緩められるべきと思います。その方向の動きは歓迎。


 きっと、今の正規SRSのガイドラインの関連では、TV/TS/TGの区分を整える必要もあるのでしょう。それは容易に推定できますし、理解もできます。
 けれど、そうした医学的な区分が、医療現場以外の生活の場でもそのままの形で用いられることには、違和感を感じる。
 医療的な区分は参考にはしても、生活の場では、どうしても曖昧な部分が必要になると思う。

 アタシは、もしカウンセリングを受けても、きっとGID(性的自己同一性障害)とは認定されないと思います。せいぜい周辺症候群くらいでしょう。
 だからと言って、医療現場以外で、TGではない、と言われるいわれはないと思う。アタシ専属でカウンセリングをしたわけでもない人に言われるとしたら、なおさら、冗談ではない、と思います。

 性自認が♂で女装をする人がTVだとして(そのことにはアタシも異存はない)、アタシはやっぱり、彼らとは別のセクシュアリティなのだわ。
 「セクシュアリティ(Sexuality)」って言葉の使い方は、色々あって難しいけれど、アタシは「性的な在り方」「性的様態」って意味合いで使いたい。
 両性愛者とかそういうことだけではなくて、いい女でありたいとか、そういうことも含めた様態。
 そういうわけで、アタシは「性自認はオトコな女装家」の人とは別路線って思いも込めて、TGを自称しています


 まぁ、性自認が♂だろうと、オンナだろうと、CD(CrossDresser)はCD、って曖昧さは、アタシもいいと思ってて。その辺も、ヌルクて曖昧さもある女装暮らしで暮らしてます。