アタシの家族の事情

 アタシの両親は、今では年金で暮らしてて、もうかなりの歳の夫婦なんだけど。6歳年の離れた妹と義弟が、両親と同じ町内で暮らしてて。それでアタシは、独りで離れて暮らしてられる。
 お陰で、デイリー女装の暮しもやり易い。妹夫婦のいる方向には脚を向けて眠れない。


 妹夫婦も含めて、家族の間で、アタシの女装のことが、家族の話題になったことはない。
 高校生の頃、演劇の真似事で、女役をやった(かってでた)時くらいだ。

 郷里に行くときは、男装していって、オトコの振りをしてくる。
 まだ頭ははっきりしてるけど幼児化が進行してる父親は、たぶん、アタシが女装するなんてこと、考えたこともない。

 母親は、アタシが学生の頃、女装コスプレとかしてるのを知ると、「キチガイみたいなことは止めろ」と言った。
 今更な言い訳にしかならないけれど、その頃、まだ若かったアタシは、自分の性自認のことを母親と話し合うのを、自分の方から辞めてしまった。

 妹は、アタシが女装をすることを知っている。アタシが高校生の頃、夜の自室で下着女装をしているとこを、妹にみられたことがあるからだ。計算してみると、妹は小学生高学年だったことになるから。きっと、かなりのショックだったろう、と思う。

 今では、アタシが「異性愛者ではない」ことを一番受け入れてくれてる家族は、妹だ。
 そんな妹とも、アタシのデイリー女装のことを話題にしたことはないけれど。
 なんていうこともない、日常的な会話のはしばしで、妹が、アタシが「異性愛者ではない」ことも「性自認が♂でもない」ことも、納得してくれてると察せられる。

 例えば、こんなことがあった。
 アタシの姪、今は中3になってる妹の娘が、まだ5つくらいの頃。
 姪もお年頃なんで「オトコがイヤ」みたいなことを、心の赴くまま主張してた(笑)。
 妹はそんな娘(姪)の主張に含み笑いしながら「Tちゃん(アタシのこと)は、オトコ臭くないから、仲良くするといいよ」とか言って。アタシも「そうそう」とか、笑いながら頷いたんだけど。
 後から、姪は一人でアタシのとこに来て、ナイショ話をするように母親批判。
 「かーちゃん、よくないね。あんなこと言ったらTちゃんキズツクよね」かなんか、慰めてくれた。

 姪の可愛らしい思いやりに感謝しながら「へーき、へーき、Tちゃんもオトコ臭いの嫌いだから」かなんか、アタシ。
 姪は確か、ふーん、みたいな顔をしたように思う。


 アタシが、家族にカムアウトできずに来てしまったのは、学生の頃母親に、女装コスプレのことを「キチガイみたいなこと」と言われて、アタシの方で「話しても通じない」に違いないと、決め付けたからだ。
 その短慮(今にして思えば短慮だと思う)は、今更、取替えしようもない。
 今、「カムアウトをしない」ことを選んでるのは、少し違った自己選択だ。

 年々、幼児化が進んでいく父親と、一緒に暮らして面倒をみてる母親、そんな両親をケアしてくれてる妹夫婦、家族の暮らしを乱したくないからだ。

 多分、何かの事故に巻き込まれでもしなければ、父は母より先に逝く公算が高い。
 例えば、父親は今年、散歩の途中で転んで腕の骨を折った。
 親が歳をとっていくってことは、そうしたあれこれも受け入れて、心の準備も身辺の準備もしていくことが含まれるのだけど。
 そうした準備の一環として、今のアタシは「カムアウトしない」ことを自分で選んでる。

 妹夫婦を含んだ家族に、カムアウトしないで、女装暮らしをしてることに、“うしろめたさ”に似た感情を抱えていないわけでもない。

 けれど、今アタシが抱えてる家族への“うしろめたさ”は、学生の頃、母親に「キチガイみたいな」と言われて感じた“うしろめたさ”よりずっと小さなものだし、周囲につきまとう葛藤も、ずっと緩やか。
 例えば、反発心のようなものはなく、“うしろめたさ”のような気持ちの性質は、かなり変質している。

 妹に向けてなら、「申し訳なさ」と、言ってみたほうがしっくりくるような心持ちだ。
 そうした気持ちは抱えてるけど。アタシはデイリー女装を止めるつもりはない。
 もし、デイリーな女装暮らしを止めるとしたら、いよいよフリーの仕事が立ち行かなくなった時に、背に腹は変えられないで、止めることはあるかもしれない。そーゆー可能性もゼロではないのよね。


 23日付けのダイアリー「デイリー女装にシフトした後 - 佳那の日記」で、カムアウトについての私見を書いて、次の日のダイアリー「シンク・ソーシャル・アクト・パーソナル(カムアウトの話) - 佳那の日記」では、「できる範囲のささやかなことから手をつけた方がいいと思う」なんてことも書いた。

 だったら、アタシが、家族へのカムアウトをしないでいて、それなのにデイリー女装の暮らしをしているのは何故か、書くべきだろうと思った。
 それに、元々、こーゆーことも、自分の脳内整理をしたくてはじめたダイアリーでもあるし。

 実は、この記事は、24日から書き始めて、破棄した草稿が何本かある。
 家族にも自分にもフェアであるように、公正に書くのは、思っていたよりもとても難しいことだった。