デイリー女装にシフトした後

 「デイリー女装にシフトした頃 - 佳那の日記」、「デイリー女装にシフトした頃2 - 佳那の日記」と、アタシがデイリー女装へシフトした経緯の大筋を書きました。ほんとは、もっといろんなこともあったんですけれど。今は、急いで大筋だけ書いてる感じです。

 「もう、こそこそ女装するのは嫌だ、止めよう」と、思って、今のような女装暮らしをはじめて。少ししてから、長期間のまとまったお仕事に声をかけてもらえました。
 アタシがラッキーだったのは、このお仕事、発注オフィスに女装で出向いても受け入れてもらえたこと。
 それやこれやで、今のデイリー女装の暮らしへのシフトもどうにかスタートできたし、続けてこれたと思います。


 日常的に女装暮らしをすると、すぐに、オンナ経験値の足りなさが身にしみました。
 20日のダイアリー(デイリー女装と性自認 - 佳那の日記)には、スカート履いての立ち振る舞いのことを書きましたけど。
 他にもあれこれあって。例えば「腰が冷える」て感覚が身にしみてわかったのは、デイリー女装はじめた後です。

 今だと、夏から秋にかけて室内着にしてるスゥェット地や薄めなタオル地のミニスカートとか、膝上スカートとかを、冬場は、ロングスカートの下に履いたりしてます。下手なペチコートとかで済ますより、暖かいのだわ♪

 アタシは、デイリー女装の暮らしを続けて、良かったことたくさんあります。悲しいこともあるけれど、それはオトコの振りして暮らしててもあり得ることだし。
 あるいは、仕事受注の幅が狭まってる(かもしれない)とかは、もちろんありますけれど。
 何より、気持ちが安らぐ。


 じゃぁなんで、アタシは、親にカミングアウトできないできてしまったのか。
 この話題は、自分でも整理したいし、日を改めて書きたいと思いますけれど。

 アタシも、性的マイノリティーの人は、カミングアウト、できるならばした方がいいとは思います。気持ちがスッキリするから。
 けれど、人それぞれに事情はあって。
 カムアウトについては、まず、それぞれの事情を大事に考えるべきだ、と思います。
 プライベートでは、カムアウトしてても、会社ではクローズト(カムアウトしてない)とかは、むしろ多いですよね。

 よく「カムアウトよりも、カムアウトし易い社会を」みたいに言われます。
 アタシは、この考え方好きだな。一理あると思います。

 ただ、「社会」ってのは、実は色んな広さのエリアが、重なってますよね。
 必ずしも全社会に「カムアウトし易さ」を求める人ばかりでなくても、構わないはず。
 このスタンスは、社会全般に理解を求める活動をされてる、アクティビストの方々の活動と、総論では両立できるはず、と思ってます。各論では、意見が異なることもあるけれど、意見の異なりを含めて、総論としては、両立できると思う。
 アタシが思うには、レインボウが象徴してるのは、そうした精神な気がします。


 カムアウトは、例えば、「友達にはできる」なら、した方が、できた分に見合っただけ気持ちがスッキリすると思います。
 でも、一方で、カムアウトすることで、大事な交友関係が損なわれそうなら、カムアウトしないのも一人一人の選択だと思います。

 それに、きっと、カムアウトにも、やり方、考え方ってあるのでしょうね。
 こっちの話は、きっと、LGBTの相互扶助サークルとかで、多人数でじっくりと話し合った方がいいと思います。それこそ、何年もかけて、色んな経験談や考え方を話し合って構わない。

 アタシの杞憂かもしれないですけど。もし「みんながカムアウトしてるから自分も」みたいな考えを抱くとしたら(若い人は抱きがちかもしれない)、それは焦りすぎかな、と思います。気持ちはわかるけど。
 一方的な告白って、恋愛でも、うまくいかない公算高いじゃぁないですか。
 カムアウトでも、自分の気持ちばかりが先立つような心持ちでやろうとすると、うまくいかないことになりやすいんじゃぁないかな。アタシは、そんな風に思います。