石原都知事4選出馬

 石原都知事が4選に出馬するって、東京都議会でハッキリ言った。

 実は、出馬表明がありそうだ、って事前報道を読んで、TokyoMXで都議会中継観てたのよ。
 で、「あー、出馬するんだー、もう歳なんだし、止めときゃいいのに」とか思ってたら、大地震です。
地震は、揺れの長さに、びっくりしたわね。アタシが住んでる横浜では、地震の直接的な被害は軽微でした)

 石原さんご本人が、出馬するって言うのを、止めることはできないけど。
 アタシ的には、有権者都民には、「4期16年はいくらなんでも長すぎるでしょ」ってことは考えてほしいと思います。
 それから、石原都知事の年齢のことも考えてほしいです。


 都議会中継で出馬表明コメントを聞いた時に、強く感じたんですけど。

 石原さんてやっぱり高度成長期時代の思想をそのまま引きずってる人よね。
 出馬表明コメントで「国家崩壊の危機」とか言ってましたけど。

 今の日本で、求められてるのは、石原さんがイメージしてると思えるような、中央集権的でトップダウンでパワフルな国家ではありません。
 そうではなくて、分散的でボトムアップでフレキシブルな国家が、社会の方に求められてる流れです。

 各地で「自治体議会の審議の透明化」が求められてるし、行政部門についても、意思決定過程の透明化が求められてる。
 石原都政12年間の行政施策は、ことごとく、こうした社会の成熟(変化)に逆行してます。


 喩えて言ってみれば、スパコンよりも、ネットワーク化されたパソコン群が求められてるんだし。
 スパコン的なものには、ネットワークを調整する機能が求められてるのであって、旧時代的なイメージのホスト・コンピュータ機能は、国家に求められてない。

 そうした、社会の変化について、石原さんは根本的に無理解なんですね。
 それでなければ、政治家を信じて全部任せろ、なんてことが言えるはずがない。要するに下々はお上の言うことにしたがってればいいって時代錯誤な政治家さん。
 あるいは、政治家が口をさしはさむべきではない、道徳的な判断の押し付けも、時代錯誤。
 前からそう思ってたけれど、都議会中継で出馬表明コメントを聞いて感じたな。

 石原さんご本人だけでなくて、石原さんを担ぎ出したのだろと思える、自民党の議員たちや、「立ち上がれ日本」系の政治家さんたちも、その辺のとこが、時代にミスマッチ。


 例えば、石原さんの「東京から日本を変える」って路線も、今までよりも、さらに中央集権的に変えようってことだから、ダメなんだと思います。
 あるいは、首都圏連合とか言ってみても、規模の小さな中央集権体制を新たに作ろうって方向性だから、社会の変化とミスマッチで、その分ゴタゴタを起こすんです。

 アタシが思うには、もし、石原都政の4期めがあったら、3期め以上にゴタゴタが増えると思えますね。時代とのギャップが、ますます大きくなるばかりだからです。
 だって、石原さんたち(石原さんと、彼を担ぎ出した政治家たち)、ご自分たちの思想や発想が、時代から取り残されつつあることに、気づいてもないんだもん。

地震の話

 アタシが住んでるのは、神奈川県の横浜市。市の中心地区からは離れてるけど。

 地震の被害は、軽微でした。
 ただ、最初の地震――東北地方太平洋沖震源のヤツの時に、停電しちゃって。これには、ちょっとだけ参りました。
 結局、深夜12時前には復旧してくれて。一晩停電で夜明かしした被災地よりは、ずっとマシだったんですけど。
 ちょうど、今月分の納品を一昨日済ませて、お仕事の切れ目だったのも、不幸中の幸いだったな。
 けれど、アタシが、今回の地震、最初の大きなのだけでも、わが国の観測史上最大規模だったって知ったのは、深夜に停電が復旧した後になっちゃった。停電だったんだもん、しょーがないじゃん。


 最初の揺れ、長かったじゃぁないですか。いくつかの地震が連動したって聞いたのは、後からのこと。
 ともかく、長い最初の揺れの途中には停電しちゃって。光回線の電話も通じなくなっちゃった。

 両親のことが気になって、外に出たんだけど、街道沿いは信号機も停電。当然のようにコンビニとか1stフード店とか軒並み停電。試しに、街道を外れて地域の避難所になってる小学校の方に行ってみたら、そっちのほうは、信号機も動いてて。停電してないコンビニの公衆電話から郷里の両親の様子を確認。
 「こっちの光電話は、停電中つながらないから」って話を呑み込んでもらって、帰宅。
 この行き来の間にも数回揺れがあって。“余震”とか言うには長い横揺れなのよね。なんだか気持ち悪い地震だわ、と思いながら帰宅。


 帰宅してから、とりあえず、非常食になるもの集めて、動きやすい靴出して、いつでも逃げる用意を整えたんだけど。何しろ停電中だから、勝手が違うんだわ。
 ともかく、逃げ出す用意をしてから、外に出て、ご近所さんとあれこれ、お話。さすがに、こーゆー時は、女装者もへったくれもない感じでお話して。ただ、この時はご近所さんも、なんとなく不安な感じで、地域の話をしてる程度。ご近所さんも、どちらも停電だったし、時間が時間だったから、お母さんたち、帰宅する子供さんや夫の人たちのことが気になっちゃってって感じ。
 ラジオ聞いてるお爺さんが1人か2人いるとか、そんな感じで、どれだけ大きな災害だったかは、まだ話題にのぼってなかった。

 小雨がパラついたのをきっかけに、停電してる家に戻って。結局、いつでも逃げる用意して鴨居の下あたりに座り込んでる内に、仮眠しちゃった。部屋暗いし、納品や打ち合わせの疲れも溜まってて。
 停電が復旧した後の深夜12時前に、TVの音声で目が覚めて、報道で被災地各地の様子を知って、言葉を失う。
 この感じ、覚えがあるな。9.11事件で、ワールド・センター・ビルが倒壊する画像を、やっぱりTVで観た時の感覚に似てる。
 スケールの大きな崩壊の画像って、視聴者の現実感を薄くするよね。倒壊のスケールが大きければ大きいほど、現実感の方は薄く薄く引き延ばされる感じ。

 画像から誘発される現実感の希薄化を、こっちの方で調整するには、積極的に想像力を起動しないと。例えば「もし、自分が現場にいたら」とか、そーゆー類の想像力のことだけど。